諏訪大社上社前宮
すわたいしゃかみしゃまえみや
4つの諏訪大社のうち、最南端の茅野市宮川。
上社本宮までは北へ歩いて10分ほどに位置し、4月に行われる御頭祭では本宮から前宮まで行列が曳航する。
上社前宮は、諏訪明神の信仰の原点といわれている。
もともと、諏訪大社では木や石などに降りる精霊として、ミシャクジ神を祀っており、
奉祀する神職の最高位を大祝と呼び、上社の大祝「諏訪氏」は祭神の子孫として、下社の大祝「金刺氏」は皇族の子孫としていた。
平安時代後期、諏訪・金刺の両氏が武力を持ち、武士になって行くのに従い、祀られていた神もミシャクジから、上社は建御名方命、下社は八坂刀売命とされたという。
その後、下社・金刺氏は戦国時代に入り滅亡し、上社・諏訪氏は武田氏の侵攻によって勢力を失うが、関ヶ原以降は高島藩主として明治維新まで続いた。
もともと上社には御神体が無かったため、幼児だった大祝を現人神として祀り、そのは職にある間は諏訪から出ることもできなかったそうだ。
二の鳥居の上に設けられている十間廊。
古くは神原廊と呼ばれており、中世までは諏訪地域の政治や祭礼はこの場で行われ、現在でも上社で行われる神事のほとんどは、この建物で行われている。
屋根は入母屋造となっており、梁間方向に3間の間口、桁行方向に10間の柱間。
桁行方向の柱間のうち、南側から7間を腰壁、1間を出入り口とし、2間を祭殿などが置かれるため、壁で囲っている。
十間廊の向かい側に建てられている内御玉殿。
諏訪明神の祖霊が宿ると言われていた神宝を安置していた。
神事があるたびに、内玉御殿の扉を開き、大祝が神事を行っていた。
天正13年建築の上社最古の建築だったが、昭和7年に改築された。
内御玉殿の背後にある御室社。
中世までは諏訪地域に半地下の土室が作られていた。
大祝や神官がその土室に籠り、ミシャグジ神と冬ごもりをしていた。
「穴巣始」と呼ばれ、12月22日から3月中旬まで祭祀が続いていたというが、中世以降、廃絶になり、現在では遺跡の跡だけが残っている。
十間廊から坂が続き、50mほど参道を登ると拝殿が見える。
左右背後に4本の御柱が建ち、木々に囲まれた妻入りの社殿は、昭和7年に伊勢神宮からの材料で造営されたという。
もともと前宮は、「本宮以前からあった宮」という意味と考えられているそうで、拝殿の奥には墳墓があると伝えられている。
所在地 | 茅野市宮川前宮 |
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ホームページ | http://suwataisha.or.jp/ |
祭神 | 建御名方命 |