居醒めの清水
いさめのいずみ
この清水に所縁の深い日本武尊は、日本書紀では景行天皇の第二皇子。
古事記では第三皇子とされている。
もともとの名前を小碓命といった日本武尊は、九州の熊襲建を倒し、その武勇から「日本武尊(もしくは倭健・ヤマトタケル)」という名を譲られる。
「タケル」という名は、「ヤマトタケル」の他に、九州の「クマソタケル」をはじめ、イズモタケルなどが見られる。
熊襲建の討伐後、日本武尊は東征に向かい、焼津や足柄坂などで様々な神話を残す。
信濃の坂の神を蒜で討伐し、尾張の国に入った。
その後の日本武尊は、東征以前より婚約していた美夜受媛と結婚をし、伊勢の草薙の剣を預けたまま伊吹山の荒ぶる神を討ち取るために出立したという。
素手で伊吹の神と対決するために向かった日本武尊の前に現れたのは、白く大きな猪。
対峙した日本武尊は、神の使いだと無視をしたが、実は神そのものの化身で激しい氷雨を振らされ、大きな痛手を負ってしまう。
ここで登場するのが居醒めの清水で、日本武尊はここで正気を取り戻したという。
結局、この時に病になってしまった日本武尊は大和へ戻ることも叶わず、尾張から三重、亀山まで進んだところで命を落とした。
英雄として多くの人々に知られている日本武尊。
清水の横にはその銅像が立ち、清らかな流れの中で梅花藻が揺れ、夏には白い花を咲かせている。