手長神社
てながじんじゃ
上伊那郡辰野町伊那富6373-2
手長神社は、諏訪湖から辰野町を流れる天竜川のすぐ近く、羽場城址に建っている。
外堀、内堀の残る羽場城址は、東側に流れる天竜川や、見通しの良い南北、東側の山々がそびえる場所だ。
国道から外れ、飯田線羽場駅の近くから狭い道を通り、神社へ向かう。
社叢は大きなもののため、遠くからでもその場所が分かりやすいが、道路が狭いためなかなかその場所へはたどり着けない。
羽場城は450年ほど前の戦国時代、この付近を納めていた小笠原氏が建てた。
その後、武田氏の侵攻によって落城し、武田氏の統治、織田氏の侵攻まで城があったと言われている。
羽場城が建っていた期間はとても短く、50年ほどと言われており、おそらく江戸時代を迎えるころには廃城していたのではないかと思う。
手長神社は、その城址に明治43年に秋葉神社と合併して1717年に現地の大工、丸山氏によって建てられた。
本殿は、向拝の組物に斗の木組を三斗、五斗と重ねたものを使い、海老虹梁に繰形を使うなど、個性が強く見られるようだ。
覆屋の中に建っているため、外部から細かくみることはできないが、辰野町にある建築の中でも古い方で、町の文化財にも指定されている。
所在地 | 上伊那郡辰野町伊那富6373-2 |
---|---|
ホームページ | なし |
本殿 | 町指定文化財 寛保2年(1717) |
---|---|
大工 | 丸山庄左衛門 |
建築様式 | 一間社 流造 |