熱田神社
あつたじんじゃ
伊那市長谷溝口宮之久保1993-1
熱田神社は、織田信長と今川義元との桶狭間の合戦の折に登場する、名古屋市の熱田神宮を勧請して産土神として奉ったのが起源とされている。
集落の鎮守として日本武尊を祀っている。
地域の主要道路から山の傾斜を登り、社殿は集落の中に建っている。
県宝、重要文化財に指定されているため、道路に案内板が出され、アクセスには非常に便利になっている。
付近には駐車場がないが、交通量がほとんど無いことと、生活道路程度でしかないので、少々の時間であれば路上駐車でも全く問題がないほど。
鳥居をくぐると、右手に手水舎、左手奥には舞宮、そして拝殿の両側に二つの境内社が建っている。
舞宮は、旧長谷村の文化財として指定されている。
もともと拝殿の前に建っていたらしいが、舞宮を使うために便宜上、鳥居の奥に場所を移したそうだ。
神前に踊りや芝居などの芸能を奉納する際に使用されるもので、建築当初から、芸能は地域に住む住人が作り、演じてきたそうだ。
この地に住む人々の文化的な創造活動の舞台として存在していた。
本殿は、拝殿背後の覆屋に囲われて建っている。
艶やかな色彩が目を惹き、細やかで大量の彫刻が施されていることが一見して分かる特徴になっている。
この装飾は、江戸時代の建築様式の中でももっとも過飾だった時期の傾向を示しているといわれている。
縁の下の羽目や、横架材と柱の間に設けられている三手先の組物など、いたるところに彫刻が施されている。
土台や長押、頭貫、脇障子などのたくさんの部材に施されている彫刻などは、重要文化財に指定され埼玉県にある歓喜院聖天堂の本殿と共通しているという。
本殿は覆屋に囲まれているため、その部材の隙間から内部の詳細を覗くことになるが、色彩が豊かで素木の部分とのバランスが良く、非常に多く彫刻が使用されている箇所などは、特に専門的が無くても目を惹き興味をそそられるだろう。
所在地 | 伊那市長谷溝口宮之久保1993-1 |
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ホームページ | なし |
祭神 | 日本武尊・天照大神・八劔大明神 |
本殿 | 県宝 宝暦13年(1763)棟札写・文書 |
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大工 | 池上善八郎(本姓:高見) |
建築様式 | 桁行3間 梁間3間 入母屋造 両側面軒唐破風付 銅板葺 一棟 |