八幡神社

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八幡神社

はちまんじんじゃ

下伊那郡阿南町大字富草字古城

八幡神社

阿南町と下條村との境を過ぎてすぐ左手の小高い山の中に八幡神社が建つ。
雲雀と名のついた橋の脇から、その下を潜るように道路が続き、この地方一帯がそうなっているように、山の斜面を狭い道路が続き、この神社があるところを古城(ふるじょう)と呼ぶため、「古城八幡」という名で知られている。

昔、城主だった下条頼氏が承応年間に居館を構えた際に鎮守として八幡社を建て、その後に下条家氏が現在の位置に移したといわれている。

八幡神社

車一台が通るのにちょうど良いくらい、すれ違いには狭い道路を脇に、八幡神社の石段が始まる。
20段ほど上がったところに石像の明神鳥居が構えられ、石段は蹴上げ、踏み面ともに荒れて、高さや水平がばらばらになっていた。
手すりが設けられているが、薄暗い時間帯や、足元がおぼつかないようなときには、かなりキケンな石段だ。
あまり人がこない神社なのか、いたるところにクモの巣が架かっており、それに注意しながら石段を上ると、木々に囲まれた社殿が現れる。

八幡神社

社地の左手に社務所のような小屋、その正面に切妻造の覆屋。
特に拝殿や神楽殿のような建築物はなく、社地内にはこの2棟のみ。
覆屋の中には、一間社の八幡神社本殿と、摂社として諏訪神社本殿が建っているのだけどれ、内部は確認ができなかった。

八幡神社

八幡神社の本殿は、土台の上に柱が建っており、母屋の土台は新しい材で作られているという。
それは何度かの修理が行われているため、その際に取り替えられたものと思われている。

諏訪神社は、八幡神社と同じ形の社殿で、桁行きが3寸ほど小さくなっているそうだ。
構造的には同じものだけれど、少々、簡略化されたところが見え、蟇股の彫刻は諏訪社の特徴の「鷹に橘」となっている。
装飾が少なく、古風な建築物といえる。

所在地下伊那郡阿南町大字富草字古城
ホームページなし
祭神誉田別神
本殿国指定重要文化財
永正3年(1506)
大工吉村与惣右衛門
建築様式一間社 流造 柿葺 一棟

諏訪神社

祭神諏訪明神
諏訪神社本殿国指定重要文化財
室町時代中期
建築様式一間社 流造 柿葺 一棟
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