大鳥大社
おおとりたいしゃ
大阪府堺市西区鳳北町1丁1-2
延喜式にも記載のある和泉国一宮。
日本武尊が伊勢国で葬られた後に陵墓から飛び立った白鳥が河内国に舞い降り、最後に留まったのが大鳥大社のある地とされ、社を建てて祀ったのが最初といわれる。
防災や雨乞いの祈願所として古くから信仰を集めているという。
社叢に囲まれた広い社地の西側に神社の入口となる大きな明神鳥居が建ち、参道を本殿へと向かうと祭神である日本武尊の神像、神馬が祀られ、手水舎と鳥居と続く。
正面に建つ拝殿の前には内宮源鳥居が建ち、多くの参拝者が並ぶ。
千木と鰹木の乗った切妻造りの拝殿と、その背後には瑞垣で囲まれた本殿。
配置上、外側から本殿の様子は見えないが、大鳥造と呼ばれる独自の建築様式となっている。
出雲地方に多く見られる大社造にも似た大型の妻入りの建築様式で、屋根には千木と鰹木を乗せる。
大社造は縁があり、正面の扉が左側に寄って中央に柱が立つのに比べ、大社造は正面に扉があるために柱が無く、回り縁も設けられていない。
また心柱が無い点や、内部が前室と後室に分かれ、床が低い点などに違いが見られる。
戦国時代に社殿が焼失した後、豊臣秀頼、徳川家綱などによって再建され、明治に入ってから再び消失し、現在の社殿は1909年に元の建築様式に建て替えられている。