金刀比羅宮

神社建築サイトおみやさんcom

金刀比羅宮

ことひらぐう

香川県仲多度郡琴平町892番地1

金刀比羅宮

全国の金刀比羅神社
金比羅神社の総本宮

こんぴらさんと呼ばれて親しまれている金刀比羅宮は、香川県琴平町の象頭山の中腹に建っている。
金比羅宮や、琴平宮とも呼ばれたり記載されることもあり、神仏分離の以前では、真言宗の松尾寺金光院になっており、神仏習合のため金比羅大権現と呼ばれていたという。
現在では金刀比羅本教の総本部で、全国の金刀比羅神社や金比羅神社の総本宮となっている。

土産物店が建ち並ぶ象頭山の麓の鳥居から、中腹の本宮、さらにその奥宮まで、石段が長く続き、その段数は1368年にもなるという。
入り口には大きな石像の明神鳥居、その両脇には重要文化財に指定されている備前焼で作られた狛犬が座っている。

金刀比羅宮

釣灯籠が寄進される
海の守り神

鳥居から本宮までは、石段が785段。
上っていく途中、左手には内部に灯籠が釣られた灯明堂がある。
長細い瓦葺きのこの建物は、1858年に建てられたもの。

備後国や因島などから寄進されたという釣灯籠が多く納められており、漁民や船乗りの間での、金毘羅講の厚い信仰の様子がうかがえる。

金刀比羅宮が創建には2説あり、祭神として祀られている大物主命が象頭山への外出時に仮の宮殿を建てた跡を、琴平神社として祀り、その後に仏教の金比羅と習合したため、金比羅大権現としたという。

金刀比羅宮

もう一つの説として、もともと象頭山にあった松尾寺に金比羅が祀られており、奈良時代の呪術者だった役小角が、この山を登った際に金比羅の神験に遭い、開山したという伝承から金比羅大権現が祀られるようになったとされている。
海上交通の守り神として祀られているのは、祭神の大物主命が、海から波間を照らして現れたところから由来しているのだろうといわれている。

金刀比羅宮

金刀比羅宮

石段を登っていくと、金刀比羅本教の総本部が右手に建っている。
その上には、1649年に建てられた大門がある。
当時の高松城主だった松平頼重の寄進によって建てられた楼門で、琴平山と書かれた額が飾られている。
楼門の内部には波と竜の、躍動感のある彫刻が頭上に施されている。

金刀比羅宮

石畳と書院造の建築
大門を過ぎると、石段ではなくなだらかな石畳の参道が続く。
両脇に桜の木と灯籠が立ち並ぶ。
長い参道だけに、各所に鳥居が建てられており、場所によって明神鳥居か神明鳥居のどちらかが建っている。

金刀比羅宮

石畳の参道を過ぎ、石段を上がると、広く開けた社地になっており、左手には神馬の飼育されている神馬舎がある。
さらに石段を進むと、日本水難救済会が置かれている建物が建っている。
これは桃山時代の様式を残した書院造で、重要文化財に指定されている。

金刀比羅宮

金刀比羅宮

高さ18mの大型社殿 旭社

金刀比羅宮

金刀比羅宮

金刀比羅宮

旭社は書院からさらに石段を進んだ先に、建てられている高さ18mの大型の社殿。
もともとは神仏分離が行われる前の松尾寺の金堂で、銅瓦葺の二層入母屋造。
1837年に建立され、その建築には40年もの月日が掛かったと言われている。
すべて欅が用いられており、屋根の裏側には巻き雲の彫刻、柱間と扉には人物や鳥獣、草花が彫り込まれている。
二層目に掲げられている額縁は畳四枚分もの大きさがあるといわれ、「降神観(こうしんかん)」と書かれた文字は、清朝の書家王文治によるものだそうだ。

金刀比羅宮

金刀比羅宮

金刀比羅宮

旭社を左手に参道を進むと、賢木門といわれる四脚門が建っている。
戦国時代、四国を平定した長宗我部元親が神域を犯した罰を恐れ、1晩でこの門を建てたと言われている。
工事を急ぐあまり、6本の柱のうちの1本を逆さに建ててしまい、そのため「逆木門」と言われていたが、逆という字を使うことを嫌い、現在では賢木門とされている。

金刀比羅宮

金刀比羅宮

金刀比羅宮

本宮の建つ785/1368
785段目の石段を登ると、本宮が建つ社地に着く。
正面に建つ本宮拝殿は1878年建築の桧皮葺の大社関棟造。
正面側面背面の4面に入母屋の妻を持ち、正面の階段上には庇が伸びている。
柱間は3間、梁間は4間の檜皮葺の建築となっている。

金刀比羅宮

金刀比羅宮

本殿は、拝殿と同じく1878年に建てられた大社関棟造。
側面には華やかな松の彫刻がされており、煌びやかに輝いている。
三手先の組物、素造りの建築見応えがある。
特に目立った彫刻は見られず、各所に神門の「丸に金文字」の金物が付けられている。

金刀比羅宮

拝殿の向かい側には神楽殿。
檜皮葺の入母屋造りで、拝殿や本殿の様式に合わせたものとなっている。

祭神 大物主命の后を祀る三穂津姫社

金刀比羅宮

金刀比羅宮

金刀比羅宮

本宮の隣に建つ三穂津姫社は、大物主命の后を祀っている。
拝殿は、本宮と同じ大社関棟造。
本殿は王子造の建築様式となってる。
王子造は、熊野造と呼ばれる建築様式で、切妻造の正面向拝に隅木が入れられており、背面は入母屋造の屋根形式をとっている。

本宮と三穂津姫社側にある神饌殿を北渡殿で繋いでいる。

金刀比羅宮

本宮からさらに石段の続く参道を進む先に奥宮が納められている。
参道の途中には数々の摂社や末社、鳥居がいくつも立ち続く。
さらに山の中へ進むので社叢というよりは山の木々に囲まれて社殿が建っているといった印象が残る。

金刀比羅宮

金刀比羅宮

奥宮へと続く参道の途中に建つ白峰神社は、崇徳天皇と待賢門院、大山祇命が祀られている。
社殿は、彩色のない本宮の建築とは逆に白壁と朱塗りの施されたもので、拝殿は入母屋造、本殿は流造となっている。

金刀比羅宮

金刀比羅宮

1368段の石段をすべて登り切ると、奥宮、厳魂神社の社殿が建っている。
檜皮葺の流造で、明治38年の建築。
白峰神社と同様に朱色に塗られた木部と白壁。
琴平町からその先を一望できるような眺めが広がる。

金刀比羅宮

非常にたくさんの参拝者が訪れており、長くたくさんの石段が続くにもかかわらず、奥宮までの参拝をする人も多くみられた。
かつては、金刀比羅宮と海を挟んだ岡山県の倉敷市にある由加山蓮台寺、由加神社本宮の両方を参拝する両参りという習慣があったといわれている。

金刀比羅宮

所在地香川県仲多度郡琴平町892番地1
ホームページhttp://www.konpira.or.jp/
祭神大物主命・相殿:崇徳天皇
本殿1878年(明治10)
建築様式桧皮葺 大社関棟造
幣殿1878年(明治10)
建築様式桧皮葺 大社関棟造
拝殿1878年(明治10)
建築様式桧皮葺 大社関棟造
旭社県指定文化財
1837年(天保8)
建築様式二層入母屋造 銅瓦葺

「金刀比羅宮」関連記事

ページトップへ
長野県の神社建築専門サイトおみやさんcom
copyright (c) 2006-24 omiyasan.com all right reserved