北野天満宮
きたのてんまんぐう
京都府京都市上京区御前通今小路上る馬喰町
天神さんや北野さんの通称で呼ばれている北野天満宮は、菅原道真を祀る学問の神として多くの人が訪れる神社となっている。
903年に菅原道真が太宰府に流された後、京都では落雷や災害が次々と起き、菅原道真の祟りだという噂が広まり恐れられたという。
947年に朝廷によって現在地に社殿が建てられたのが始まりという。
入口には大きな鳥居が設けられ、長く参道が続く。 二の鳥居の近くには、伴氏社という境内社が置かれ、その鳥居は京都三珍鳥居のひとつとして知られている。
随神が置かれた門の先には、牛の像が多く置かれている。
菅原道真と牛との関連は深く、「道真は丑年に生まれた・大宰府へ島流しになる際に、牛が泣いて見送った・牛に乗って大宰府へ向かった・牛が刺客から守った・道真の墓の位置を牛が決めた。」「大宰府への左遷時牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」などなどの謂れがある。
北野天満宮の社殿のほとんどは、本殿と同時期に建てられたもので、1700年に大規模な修理が行われたという。
絵馬所はその際に建てられた物で、中にはたくさんの算額や絵馬が奉納されている。
大きな屋根のある切妻造は、もともとは現在の瓦葺きではなく、木の板が葺かれた物だという。
京都にある絵馬堂の中では最も古いものとされている。
拝殿の前に建てられた三光門は、1607年に豊臣秀吉が残した命令で、秀頼が寄進し建てられたとされている。
鮮やかな彩色と、見事な彫刻が多く施された物となっており、重要文化財に指定されている。
「天満宮」掲げられた額は、後西天皇が書いたものといわれている。
国宝の拝殿は、他の社殿と同様に1607年に建てられたもの。
大型の入母屋造で、仏教的な雰囲気も強い。
権現造といわれる社殿配置で、大型の拝殿と本殿の間には、石の間で繋がれている。
各柱間と同じ間隔で提灯を下げた透塀で本殿を囲んでいる。
蟇股は拝殿と同様の彩色がされ、屋根は妻に塗られた紅がとても目を惹き、金色に輝く各部の金具とが非常に鮮やかな社殿となっている。
豊国廟を建築するにあたっては、この天満宮の建築様式が採用されたという。