鹿島神宮

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鹿島神宮

かしまじんぐう

茨城県鹿嶋市宮中2306-1

高天原から葦原中国を平定するために遣わされた武甕槌神が祭られる常陸国一宮。
武甕槌神は諏訪大社に祭られている建御名方神と関係がある神で、武甕槌神が葦原中国の国譲りを出雲大社の大国主神に迫った際、建御名方神と力比べをし、それが相撲の起源になったといわれている。
日本神話のこの部分は古事記にのみ残っており、日本書紀には武甕槌神は登場しないそうだ。
香取神宮に祭られる経津主神や、諏訪大社の建御名方神とともに、日本三大軍神として数えられ、時代劇や武術道場などで、よく鹿島大明神、香取大明神と書かれた掛け軸が掲げられているところを目にする。

鹿島神宮

千葉県香取市の香取神宮、神栖市の息栖神社とともに東国三社の一つとして数えられ、創建は神武天皇の時代、紀元前600年ほどだという。
JR鹿島線鹿島神宮駅から徒歩で10分ほど。
土産物屋の並ぶ参道に出る。

鹿島神宮

参道の先には石造の大きな二の鳥居が建ち、深く静かな社叢に囲まれた社地が始まる。
石畳の敷き詰められた先に建つのは、朱色に塗られた楼門。
重要文化財に指定されている鹿島神宮の楼門は、1634年、初代水戸藩主によって奉納されたもの。
左右に人像が祭られ、稲妻を模ったものがその背面に置かれている。

楼門国指定重要文化財
1642年(寛永19)

鹿島神宮

広くまっすぐに延びる参道から、楼門からほど近い右手に拝殿。
1618年に徳川秀忠より造営され、素木造の質素な造りになっている。

鹿島神宮

鹿島神宮

鹿島神宮

その背後には同じく秀忠の時代に造営された本殿が建っている。
黒や朱など艶やかに装飾された社殿で大型の三間社流造。
一間の向拝が軒の先端に伸び、檜皮が葺かれた屋根の軒下から、糸のようなものが無数に垂れ下がっている。
昭和後期から平成にかけて修理がされたそうで、鮮やかな色彩が見られ、奥まで入っての見学はできないが、一見の価値がある。

本殿国指定重要文化財
1618年(元和4)
建築様式三間社 流造 檜皮葺
石の間国指定重要文化財
1618年(元和4)
建築様式桁行二間 梁間一間 一重 切妻造 檜皮葺
拝殿国指定重要文化財
1618年(元和4)
建築様式桁行五間 梁間三間 入母屋造 檜皮葺
弊殿国指定重要文化財
1618年(元和4)
建築様式桁行二間 梁間一間 入母屋造 檜皮葺

鹿島神宮

参道を挟み、本殿の反対側には仮殿が建っている。
仮殿とは、遷座の際に祭神が一時的に収まる社殿で、こちらも重要文化財に指定されている。
本殿と同じ年代に建てられ、流造の本殿に対して入母屋造。
神社建築でよくみられる、桁行三間梁間二間の様式となっている。

仮殿国指定重要文化財
1618年(元和4)
建築様式桁行三間 梁間二間 入母屋造 檜皮葺

さらにその奥に続く参道は天然記念物に指定された社叢が深くそそり立つ。
楼門から本殿周辺は明るく開けた社地だったのに対し、奥宮へ続く参道は深い緑と、大きな木々の幹が目に入る。
奥宮までの途中、神鹿として30匹ほどの鹿が飼育されている。
天照大神から武甕槌神への命令を伝えにきた天迦久神が、鹿の神霊とされているところから、鹿島神宮の使いは鹿とされているそうだ。
奈良の春日大社を創建する際も、鹿島神宮からの分霊を鹿の背に乗せて連れたといわれている。

鹿島神宮

鹿島神宮

鹿島神宮

奥宮は流造で素木の簡素なもの。
社殿を塀で囲われ、正面には明神鳥居。
1605年に徳川家康によって奉納されたという。
こちらも重要文化財にしていされ、荒魂が祭られている。

奥宮国指定重要文化財
1605年(慶長10)
建築様式桁行三間 梁間二間 流造 檜皮葺
所在地茨城県鹿嶋市宮中2306-1
ホームページhttp://www.bokuden.or.jp/~kashimaj/
祭神武甕槌神

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