厳島神社
いつくしまじんじゃ
広島県廿日市市宮島町1-1
有名な海上の大鳥居は、社殿から88間先に建てられた高さ16mの両部鳥居。
樹齢500〜600年クスノキで作られているといい、柱の根元は、松の木の杭の上に布石を並べて海底の地盤を強化した上に置かれている。
鳥居が自重での安定をするために、島木には7トンもの玉石が詰め込まれている。
鳥居に掲げられている額は三畳もの大きさがあり、正面には「厳島神社」、背面には「伊都伎嶋神社」と書かれている。
笠木の東側の先端に太陽、西側には月が描かれ、風水の鬼門封じの役割とも言われている。
遠浅の為、干潮時には根元まで歩いて行くことができ、カニやヤドカリなどが足元を歩き回っている。
夜になるとライトアップされ、夕陽を受けて浮かぶ鳥居の姿はとても綺麗な景色だ。
本殿は毛利元就によって改築された1571年の建築。
切妻の両流造で、正面には緑青が塗られた菱形の格子戸がある。
屋根は桧皮葺に瓦を積んだもので、木造高床式の寝殿造の代表的な形式を取っている。
寝殿造は、平安時代の貴族住宅の様式で、寝殿と呼ばれる建て物を中心的なものとして、建物を南側の庭に面して建てる。
東西に対屋と呼ばれる建物を付属し、それらを渡殿で繋いでいる。
更に東西の対屋から渡殿を南に出してその先に釣殿を設けた。
全体を結ぶ回廊は幅が4mほどで、目透かしという隙間が空いている。
これは海水が押し上がってくる圧力を弱めて、水が回廊に溜まるのを防ぐ役割がある。
過去の嵐や台風に何度もさらされてきた神社だが、本殿まで水が達したことは無いという。
本殿前に広がる平舞台は、約553平方メートル。
寝殿造の庭にあたる部分で、全体が板床。
他の社殿の束柱が木造なのに対し、この部分は赤間石が建てられ、全部で239本もあるという。
1176年に平家一門による千僧供養が行われ、その際に設けられた仮廊が常設されるいうになったという。
最前面は火焼前といい、7月の管絃祭で使用される。
平舞台の、火焼前と払殿の間にある高舞台は、舞楽の舞台としては最小のものだという。
1546年に棚守房顕によって作られ、当初は組み立て式だったものが江戸時代に入り、現在のような作り付けになったと考えられている。
他の社殿と違って素木造の能舞台。
国内でも海に浮かぶのは厳島神社が唯一で、1680年に建てられた。
壁には松が描かれ、能舞台では一般的に置かれている床下の共鳴用の甕が無い。
また、足拍子の響きを良くするために舞台の床を一枚板のようにしている。