平賀神社
ひらがじんじゃ
佐久市大字平賀字駒在家4976
佐久市の南側、内山峡へと続く道路の近くの小高い塚の中腹に社殿が建てられている。
近くには佐久城山小学校があり、富岡街道が内山峡へと続く。
1193年に佐久一帯を治めていた平賀氏が鶴岡八幡宮を勧請して創建したと伝えられている。
もともとは八幡宮と呼ばれ、1740年に京都の吉田家から「平賀郷」の惣社号を受けたという。
道路を挟んで石造の明神鳥居が建ち、参道がまっすぐに続く。
社殿は階段を上がった斜面の中腹に建てられており、上屋の中に本殿が建てられている。
建築様式は三間社の流造。
柱や虹梁には彫りの深い地紋彫りがあり、縁の下の羽目にも彫刻を施されている点などに、江戸時代後期の建てることより、彫刻で装飾することが多くなった時代が見られる。
江戸時代中期には三斗や出組の組物が見られ、末期には三手先が見られるようになり、この本殿にも採用されている。
平賀神社から近いところでは、同じ佐久市の鳴瀬にある諏訪神社には五手先の組物が見られる。
脇障子は蕨手装飾で、これも佐久周辺で見られる手法になっている。
各所の彫刻に、周辺の建築で見られる手法が使われており、この本殿も佐久市周辺の大工が手掛けた建築と見られている。