埴原神社
はいばらじんじゃ
松本市中山宮原5730
埴原神社は、松本市の東側を塩尻へ抜ける県道63号線の傍らに建っている。
山の傾斜地に開けたところで、天気の良い日には松本平を一望できるとても眺めの良い場所でもある。
ここは、戦国時代には信濃守護の小笠原氏が治めていた土地で、その居城だった林城も近い。
小笠原氏以前の領主だった埴原氏から名を取り、埴原城という山城も築かれていた。
林城の支城の中でももっとも規模が大きなものだったそうだ。
松本方面から県道を南下すると、左側に大きな杉の社叢が見えた。
木造で笠木が反った鳥居が見え、4本の支柱がついた両部鳥居だった。
長野県の神社では一般的によく見られる鳥居だ。
脇には車が1台停められるスペースがある。
雪の降っている中で訪れたので、石段が濡れてヒンヤリした社地だったけれど、きれいに整備された石段と、新しい注連縄からよく人が訪れる神社なのだと感じた。
参道の石段を上ったところには、右側に勅使殿、正面に拝殿、脇に廊下が続く。
本殿は拝殿の後ろに建つ三間社の流造。
正面からは3つの柱間、奥行きが1つの柱間の三間社は、一間社が主流の長野県では珍しい社殿といえる。
脇障子はなく、正面階段の横には人物像が座る。
栄村や木島平村でも、こういった人物像のある社殿が見られるが、個人的な好みでは、静かで人影のない神社の奥地にある人物像は不気味であまり好きではない。
そして、屋根の上には鰹木と千木が乗る。
屋根の形状については、県内では流造よりも神明造によく見られる形となっている。
この本殿は、もともと十五社・八幡社・鎮守社という3つの社殿が建っていて、明治時代にそれらを解体して現在の三間社としたそうだ。
この3つのうち一社は母屋に角柱を用いた見世棚造の社殿だったと考えられ、木鼻や蟇股の様式から、三社ともに十八世紀中期の建築と推定されている。
もとの三社のうち、一社は母屋に角柱を用いた見世棚造の社殿であったと考えられており、木鼻や蟇股の様式からみて、いずれも十八世紀中期の建築と推定されている。
所在地 | 松本市中山宮原5730 |
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ホームページ | なし |
祭神 | 建御名方命 |
本殿 | 18世紀前半 推定 |
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建築様式 | 三間社 流造 銅板葺 |