足長神社
あしながじんじゃ
諏訪市四賀普門寺5386
諏訪湖の東側、諏訪市の南側に位置する四賀普門寺地区に建つ足長神社は、大隈流の建築として知られている文化財だ。
もともとこの足長神社の建つ地域は大工が多く、そのほとんどは大隈流だという。
川を挟んで東側は大隈流、諏訪大社の建つ西側には立川流という傾向があるそうだ。
諏訪の社寺建築といえば立川流と大隈流の二枚看板的な印象を持っているので、江戸時代中期から後期にかけての諏訪地方の建築彫刻技術の高さが窺える。
この地区は、戦国時代には諏訪大社の大祝も務めていた諏訪氏が統治する土地だった。
神社の後ろは霧ヶ峰があり、すぐ横には桑原城、近くには四賀城。
とても強固な防御体制を強いていたのだろうと思う。
足長神社は、この土地の産土神となっており、もともとは諏訪大社上社に属する末社だったそうだ。
そのころの呼び名は萩宮明神。
現在、社地には文化財になっている本殿と拝殿、その前方に神楽殿がある。
本殿は、拝殿の背後の一段高いところにあり、こまかな様子を見ることができないのだけれど、奥行きが2mほどの一間社流造となっている。
大隈流の矢崎、石田、伊藤が建築にあたったという。
建設年代の詳しくは分からないが、は不明だが垂木に反りや増しがあるため、十八世紀前期と考えられる。
拝殿は、平入の切妻造。
組物や、虹梁の上、欄間など、いたるところにたくさんの彫刻がしてあり、とても見ごたえのある社殿となっている。
天保13年に着手し、この地区に住む大隈流の大工が協力して建築にあたったという。
一見しての緻密さ、設けられた彫刻の数、隅々までよく観察するのには飽きない神社建築になっている。
訪れた時期が年末年始と重なったので、社地では地域の方が集ってお神酒を片手に火を囲んでいた。
各地区、各神社の当番となっているらしく、訪れる人に酒を振舞っていた。
こういった習慣は地域によって、異なるのだろうけれど、一年の始まりを神社で祝う文化は地方ならではと感じた。
所在地 | 諏訪市四賀普門寺5386 |
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ホームページ | なし |
祭神 | 倉稲魂神 |
本殿 | 市指定文化財 18世紀前期 推定 |
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大工 | 石田房吉・矢崎専司(二代目善司)・伊藤安兵衛 |
建築様式 | 一間社 流造 銅板葺 |
拝殿 | 市指定文化財 天保13年(1842)文書 |
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大工 | 石田房吉 |
建築様式 | 桁行三間 梁間二間 切妻造 銅板葺 軒唐破風千鳥破風付 背面千鳥破風付 |