多賀大社
たがたいしゃ
滋賀県犬上郡多賀町大字多賀604
近江国三宮の多賀大社は、古くから「お多賀さん」と呼ばれ、中世には「多賀明神」として崇敬されてきた。
古事記にも記載があり、「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」は多賀大社を指しているという。
古事記以前の時代では、このあたり一帯を支配していた犬上氏の祖神を祀っていたのではないかと言われている。
室町時代の中期には神仏習合が進み、神宮寺として建てられた不動院が全国に信仰を広めたという。
江戸時代には伊勢や熊野とともに参詣で賑わい「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる・お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」という俗謡もできたという。
社地の入り口に立つ門は、柿葺の四脚門。
切妻の屋根で、特別目立った装飾のある門ではないが、周囲を囲む神社の正面入り口になっている。
開かれた門から直線上に敷かれた石畳の先に、大きな社殿が構えられている。
本殿をはじめとして、拝殿、神楽殿、弊殿は素木造の檜皮葺の建物となっている。
大社造の本殿を神楽殿から広がる廊下と塀で囲んでいる。
平入りの屋根が折り重なって広がる建物の様子はとても迫力がある。
拝殿の手前右側には能舞台、そのほかに15社もの摂社末社が社地内に設けられている。
西側の参道入り口に設けられた日向神社、正面入り口の天満神社や秋葉神社、本殿の背後には稲荷参道入り口があり、金咲稲荷神社の赤い鳥居が立ち並んでいる。
社地の西側に建てられているつり鐘は県指定の文化財。
1555年に鋳造された鐘が掛けられており、六角氏や浅井氏の崇敬を受け、社殿の大々的な修造にあわせて鋳造されたという。
鐘身156.2センチ、竜頭からの高さが209.2センチ、口径127センチというサイズで、全国でも5本の指に入るほどの大きな鐘だという。